SF単行本発売のお知らせ

拙作短編7編を集めた単行本が発売されました。
内容は、当時の奇想天外誌に掲載した書き下ろしSF短編を加筆修正したものです。雑誌のイラストは著作権の関係で掲載できませんでしたが、往時のSFの雰囲気が横溢しています。

有名書店の棚にはありますが、ネット通販、紀伊國屋書店、honto、TSUTAYA、Honya Club、7net.omni7、Amazonなどで購入可能です。(本体1300円)





「ブラック・ホールにのまれて」 宮本宗明  牧歌舎 2017年5月10日発行 



SF雑誌全盛期の短編の数々をどうぞお楽しみください。



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もっとも危険なゲーム

ギヤビン・ライアルの「もっとも危険なゲーム」THE MOST DANGEROUS GAME は1963年に英国で出版された。

SFとは直接の関連はありませんが。

しかしながら、この作品を語らなければSF作家 宮本宗明 は語れないのである。同人誌宇宙塵誌初掲載 33 1/3の原動力となったミステリ小説だからだ。

ミステリファンならおなじみの航空スパイものになる?この小説本は早川書房により版権取得され1976年6月30日に刊行された。すりきれた感じの書籍画像はカバーなしのものである。







「もっとも危険なゲーム」 ギャビン・ライアル ハヤカワミステリ文庫 1976年刊 菊池 光訳





ストーリーは序盤、ほとんど活劇のない平淡な展開をみせる。 ヒチコック映画みたいな極北の飛行場で金持ちの依頼人が主人公の前に現れる。

そのシーンでお気に入りのフレーズがある。
二番目の金持ちの依頼者アリスが登場するシーン・・・

「飛行場はあいかわらず石と砂の山で、建物に通じる泥の上の敷板もそのままであった。女はその端で、積み上げた白い旅行鞄の前で私を待っていた。
なんだか同じような経験をした記憶がある。二日酔いの状態までそっくりだ。・・・・」

その前、最初に登場する金持ちの男、フレデリック・ウエルズ・ホーマーのシーンはこうだ。ーー「今ではその建物へ行くのに、泥土の上に敷いた板の上を五十フィートほど歩いて行かねばならない。男はその通路の端で待っていた」
このときも荷物を通路に並べているのだ。しかしガンケースがある点だけ相違している。

そしてホーマーは言った。「ケアリさん、あなたの飛行機で私を運んでいただけないかと思いまして」


わたしはこの「なんだか同じような経験をした記憶がある」というフレーズが大好きだ。女性を前にしてとぼけている。しかし重要な伏線へと導いていくのだ。

ホーマーの妹のミス・ホーマー しかし、今はアリス・ビークマン夫人であるが、「あなたになぜこんなことを話すのかわからないけど、私と主人は別れることになっているの」
「失礼しました」
彼女はチラッと見た。「いいの」

これが彼女のひとめぼれのサインなのである。ビルはそれを感じているはずだ。ふたりの恋物語は以下のシーンでより鮮明になる。

「彼女はだまってうなずいた。ニューヨークの五番街仕立てのスーツを着て、髪の毛を陽光に輝かせて立っている姿がたいへん愛らしかった。この辺は無人境だな、悲鳴はどこへもきこえないな、と頭の中にフッとうかんだ。
 不逞な考えが頭の中を通りすぎた。

ビルはふつうにアリスに惹かれ、それをギャビンライアルはこんな控えめな形で読者のまえにさしだす。

そのあと、ビルケアリは眠らされて危機一髪のところをアリスに救われ、なぜ彼女が兄のホーマーを追っているかの真の理由が明かされないままホーマーのいるはずの熊うち小屋へと飛行するのである。

湖畔の小屋で兄を待つ。食事をしていると日が暮れる。ふたりは自然に結ばれるそこになんのわだかまりも、理由も、欲望の渦もなく、あたりまえの恋人どうしみたいに結ばれるのだ。

「彼女は暗闇の中で静かに泣いていた。森の中から遠く聞こえてくる音のように、誰にも救いようのない淋しい声であった」
これがふたりの分かれのフレーズである。

ハイファイセットの オーラッキーレディは 寂しさがふたりを引き寄せただけ 愛はおおきな海へと流れゆく あなたと出会えたこと後悔はしないわ と歌うが、ビルとアリスはもっと乾いている、ドライである、ナイーブであってハードボイルドでもある。

これが恋愛か


この小屋のシーンは、ギャビンライアルの経験談みたいにも思えるし、パイロットの理想を書いたということなのかもしれないが、わたしにはよく理解できない。あってもなくてもいいシーンなのに、このシーンがないと、ラストのフレーズが意味をなさなくなる
たぶんこのシーンがこの物語でいちばん大事なところなのであろう。

それはこうだ。

「私はうなずいた。たしかに私はうまくいかないと言った。あの時それが正しかったのなら今だって正しいはずだ。エンジンをかけてビーバーを水の中に戻した。
ふり返って見ると、彼女は湖畔に立つ淋しそうな小さな人影であった。数ヤードと百万ドルと一つの死を隔てた遙かな姿であった」

一つの死

それはホーマーの死である。ふたりをへだてる決定的な要因である。これがあるから恋愛は別問題になる。
つまりそれが もっとも危険なゲームたるゆえんなのだ。人間からとおざかる、人間と対決するという狂気 それがこのミステリのひとつの伏線となって流れている。

読者の興味を引く要素は他にいくつかある。

それは小さな水陸両用機であり、水上機であり、SISであり、スオポであり、金貨を使った密輸であり、ロシアとフィンランドとの確執であり、NATOと共産圏の闘いであり、第二次世界大戦の北欧での闘いであり、航空機事故とロシア国境を侵して飛行することなどである。

熊を撃ちにきた金持ちとSISで訓練をうけたものの銃撃戦

昔ばなしのような○○の宝、ニッケル鉱山、それを追っている者、スパイの正体、ケアリがなぜフィンランドでしがないパイロットなどやっているのか

そうしたことが謎かけとして淡々と語られ、ストーリーは淡々と繰り広げられる。試験問題みたいに記憶しておかないとだれがなんのために動いているのか訳がわからなくなるーーしかしそうした仕掛け自体 わたしのお気に入りたるゆえんである。

伝説みたいな同僚のハルトマンの行動が過去、少し前、そして現在と語られ、意外な謎ときがおとずれる。
そして銃撃あそび。

わたしもかつて散弾銃をぶっぱなしていたことがあるので銃撃戦は実感をもってうけとめられる。
ビルケアリ 撃たれたのに 一時間も深夜飛行して帰還することなどできるのであろうか?

そのタフさ加減は、かの競馬シリーズにも通ずる英国探偵小説の醍醐味なのだろうか?
外科医委がこの傷のシーンを読むと、それは君、眉唾ものだよ とでもいいそうなのだ。

わたしはかねがね、いつかビルケアリのような人生を送れたら、と思っていた。

だが、パイロットでもないし、せいぜい自然科学的な冒険にのりだすくらいである。

動けなくなる

いつか

そうなるまえに 冒険したいような気もする、、、、

もっとも危険なゲームのような?



愛の詩集

室生犀星が「愛の詩集」を自費出版したのは28歳(大正7年)1月のことであった。筆者の「愛の詩集」は学生時代で今から数十年も昔のことだが、その相違をのべるために室生をとりあげたわけではない。筆者は同じ題名の詩集があることを知り、それを読みたいとずっと思っていた。ハイネとかの愛の詩集ではないのはわかっていたが、今回はじめて手に取り、読んでみて「やはり」と感ずるものがあった。ーー学生の「愛」と文学者詩人の「愛」はかくもかけ離れた内容のものなのだ。




「愛の詩集」室生犀星 1997年9月20日発行 小沢書店刊


筆者の「愛の詩集」はこのブログの最初のほうに掲載してあるのでたまに読み返すが、なかなかまねのできない詩ではある。「いいかも」といってくれた若い人もかつてはいたが、その人の消息はすでに知れない。

室生犀星の自序「詩はたんなる遊戯でも慰謝でもなく、また、感覚上の快楽でもない」「その人に迫ったり胸や心をかきむしったり、あたらしい初々しい力を与へたりするのである」ということばがかれの「愛の詩集」を物語っている。

だが、

山頭火の「わたしはあるべきものを捨てようとするのではない、在らずにはいないものから逃れようとするのではない。『存在の世界』を再認識して再出発したい私の心がまへである。
うたうものの第一義はうたふことそのことでなければならない。私は詩として私自身を表現しなければならない。それこそ私のつとめであり同時に私のねがひである」ということばは単純なようでいて、胸をうつ。

とりただして室生犀星の詩が劣るとかいっているのではない。こうして数十年のときを経て自作詩集と室生の詩集を読み比べられる時に乾杯したい気分なのだ。

はたして室生犀星の詩は男の詩であった。かみくだいたいい詩だった。直裁で心に響く詩であった。

だが、

かの村上章夫がいったことばーー「詩は なんのために売れるのか」のひとことが心に響く残る滲みる。

なんのために生まれてきたのか と かれは問いたかったのだろうか?(すでに亡くなって久しい彼はなにを問うたのか?)


かなりの数の詩集にふれてきたが、室生犀星の詩集はあらたな地平線をかいまみせてくれた。

つぎは木下杢太郎の詩集にふれてみようか。

  

奇想天外ー「ブラック・ホールにのまれて」

筆者 、奇想天外誌初掲載のSF短編が「ブラック・ホールにのまれて」である。


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今般、奇想天外誌掲載のSF短編小説をいくつか集めて、短編集として出版する運びとなりました。(詳細は後日に)

最後のとき

川端康成随筆集ー川西政明編(岩波文庫)2013年12月17日発行


「片腕」→「眠れる美女」→「たんぽぽ」とつながる異端的幻想的短編中編をしらべるうち「末期の眼」にたどりついた。

これが採録されているのが「川端康成随筆集」である。

そのなかに末期の眼も感銘的だが、片岡鉄平の死からはじまり横光利一弔辞、古賀春江と私、泉鏡花氏の櫛笥集など、徳田秋声「縮図」、永井荷風の死と、末期にかかわる話しがつづいて、そこに川端がドガに思い至る部分がある。

それはこんなふうだ。

『小林秀雄氏の「近代絵画」の「ドガ」のおわりに、アンリ・ルロア宛の手紙の一節が引かれている。『もし貴方が独身で五十歳にもなると、まるでドアがしまるような具合に、自分というものがしまってしまう時期を経験するでしょう。友だちに対してだけではないのだ。自分の周りのものをみんな片づけてしまうのだ。そしてたった一人になってみると、今度は自分を片づける、自分を殺すのだ、嫌悪の念から。私は、あんまりいろんなことを企てた。今は、もう身動きも出来ぬ、力もない・・・・。私は、戸棚のなかに、私の計画をすっかり詰め込んで、戸棚の鍵は身につけて持っていたが、その鍵も紛失してしまった。』

という引用である。

そのまえには、永井荷風の死が週刊誌やら新聞やらテレビやらにとりあげられ、さんざんに評論家たちにあーだこうだいわれた様が描活されているのだ。

荷風は最後の日まで日記を書き続けていたそうで、しかし若かりしころの洒脱の雰囲気はとうに失われて、独居老人の「風流にしてはあまりも不細工すぎる生活の貧しさであった」という船橋聖一氏の追想文が紹介される。

荷風の最後の方の日記は、「正午浅草」「正午、大黒屋食事」が一行のみ、えんえんとくりかえされるだけなのである。死の前日まで荷風が大黒屋でカツどんを食べたということが淡々と紹介される。

偉大な詩人の末期である。それを川端はドガを連想したというのだ。

荷風もパリあたりに暮らしておれば日本で死ぬより正統に死ねたろうという意味のことも書いている。
だからドガなのである。
孤独死はあたりまえの欧州ということなのだろう、日本では有名作家の、クラッカー散乱現場につっぷした孤独死を喧伝するのだ。

雑然とした寒々とした老人の独居室、その写真をよくみると荷風がつっぷして死んでいるのに気づくーーそれをみて川端は、ぎょっとした、と簡潔な感想をのべる。

一人暮らしの老人の死などそんなものなのだ。

わたしがみとった人、妻、そして仔猫や親猫、こうした死を、だが私はもう見ることもないだろう。
あとは末期の眼がわたしの死をみとるのである。
死とはそういうものだ。


こうしてわたしはSF以上のSF世界を川端に見いだしそしてなおも探し続けるのである。


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